書道家/書家SOGEN 「夢幻逍遥」 (2005.4.29 投稿 006)


投稿日: 2005年4月29日

 

 

2005ソウル書芸ビエンナーレ出品作

「夢幻逍遥」 /ソウル書芸ビエンナーレ2005 招待出品作

 

 

 

 

「人生とは、さながら夢の中を彷徨い歩くが如くなり」

 

若くして逝った 陶芸家の友人が言った。
ならば人生という夢の中で、己が魂を解き放ち、無限の宇宙に遊びたい。

 

 

 

 

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書道家/書家SOGEN blog 書とアートを巡る随想~その2 (〜SOGEN blogバックナンバ〜 2005.4.24 投稿 005)

投稿日: 2005年4月24日

 

 

2005.4.24-3

CO-TWISTED/1999 石田智子氏 インスタレーション作品

 

 

 

(書とアートを巡る随想~その1の続きです)

 

 

石田さんが言った。
「昔の人たちは大地自然とともに生きていたから、霊的なパワーっていうの?もっとあったと

思うんだけど、現代人はそういった霊力が弱まってしまってると思うのね。」
「じゃあ、それを取り戻すにはどうすればいいんでしょう?」と問うオイラに、

石田さんひと言・・・「セックスでしょう。」
う~ん、石田さん、ますますグ~!

その真意は「人間本来持っているはずの本能的なものが、今の時代は抑圧されている。

だから本来持っているはずの霊力のようなものも、弱まってしまっている。

セックスはそれを取り戻すための数少ない手段の一つである。」というところにあった。

 

そういえば、京都の祐斎亭を訪ね、深夜の茶室でエロ話モードになったとき、

祐斎先生が次のような話をされた。

「昔、ことに自分が生まれ育った熊野では、ある一定のルールのもとに、夜這いというのが

当たり前に行われていた。昔の日本にはそういった性に対する大らかな文化があった。

誰の子かということは余り重要な問題ではなく、誰の子であろうが、地域社会が共同で子どもを

見守り育てていた。それを無くしたのがキリスト教文化に根ざした一夫一婦制というもの。」

こんなことを表だって言ったりすると今の社会ではヒンシュクを買うだろうが、自分も

一夫一婦制というのは、国が国民を統治しやすくするための一つの方便ではないかと思う。

もちろん、現代社会の中では法に従い、法を犯したものは罰せられるわけだが、

一夫一婦制が人間本来の在り方に根ざしているとは思えない。その性的な抑圧というものが、

現代社会の中でさまざまな歪みとなって表れているような気がする。

はっきり言えば、もちろんそれだけではないにしろ、いいHをしていれば、

人生かなりの部分、ハッピーなのであ~る。

ん?・・・そう思うのはオイラだけ?

 

 

昨日お会いした芥川賞作家・玄侑宗久さんからいただいた『明るい禅』という本の冒頭に、

白隠禅師の話が書かれている。
白隠(はくいん)は江戸中期の臨済宗の高僧。その墨跡(書)も有名で、現代の美術界でも

破格の扱いを受けている。

 

白隠の信徒である、ある大店(おおだな)の主人の娘が身籠った。主人が娘に

「いったい誰の子だ!」と問いつめたところ、言うに言われぬ事情があったのだろう。

黙っていては許されぬので、思わず「白隠さんの子です。」とつぶやいた。

怒った主人は子どもが生まれるのを待って、その赤児を抱えて白隠の寺に乗り込んだ。
「身に覚えがあるだろう!」と問い詰める主人に、白隠はひと言つぶやいた。
「あぁ、そうだったかなぁ。」
あまりの白隠のいい加減さに怒った主人は、白隠の子に違いないということで、

赤児を置き去りにしていった。
子どもに会いたさに、母親であるその娘は、寺に時折やって来ては物蔭からチラチラと

垣間見ていたそうだが、ついに耐え切れず、父親にその赤児が白隠との間に生まれた

子ではないことを告白する。

驚いた主人は娘ともども白隠の元へと行き、土下座して謝った。
「もしウチの娘が本当のことを言わなかったら、和尚さまは一生この子を手元において

お育てになるおつもりだったのですか?」と問う主人に、白隠はまたひと言つぶやいたという。

「あぁ、そうだったかなぁ。」
白陰に見えていたのは世間の風評ではなく、おさなごの命だけだったのだ。

 

禅語ではこれを「把不住」(はふじゅう)と言うらしい。
宗久さんに著書のサインを求めたところ、目の前で、この「把不住」という言葉を

筆書してくださった。
「何ものでもない。何ものにもとらわれない」という、禅の一つの境地を表す言葉だそうだ。
この逸話の真偽のほどは分からぬが、墨跡を見ると、白隠ならさもありなんと思えてくる。

それほど白隠の書は、大宇宙と繋がっているのではないかと思われるほど野方図で大きく、

つかみ所のない魅力に満ちている。
白隠の書が現代でも別格に扱われる理由はそこにある。

自分も白隠のような、何ものにも囚われない、何ものでもない者になりたい。

そして、そんな書を書けるようになりたい。そういった境地に至ることこそが、

自分の究極の夢であり理想であると思っている。

 

 

 

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書道家/書家SOGEN blog 書とアートを巡る随想~その1 (〜SOGEN blogバックナンバ〜 2005.4.24 投稿 004)

投稿日: 2005年4月24日

 

 

 

2005.4.21-2

TWISTED/2000   石田智子氏インスタレーション作品

 

 

 

言葉で表せないことを表す、言葉で伝えられないことを伝えあう・・・
そのためにこそ芸術はあると思っている。

 

ではなぜ、こんな風にブログを書いているのかというと、これは人に読んでもらうためでも

あるけれど、今の自分自身の考えを整理し、立ち位置を確かめ、これからの方向を見定める

ためでもある。

ってことで、またまた書かせてもらいやす。長くてスンマセン。

インスタレーション・アーティスト石田智子さんとの出会~続編です。

 

 

石田さんは言う。

「作品を構成するコヨリ1つ1つに、何か特別に魂がこもっている、というわけではないんです。

空いた時間を使って、おしゃべりしながら、TVを見ながら、ただ手だけ動かして

1つずつ作っていくだけ。でもそのときが私にとって一番幸せな時間なの。

そうやって作ったコヨリを集めて作品を創ることで、何かほのかな匂いのようなものを

醸し出すことができれば、それでOKなんです。」

その気持ち、なにかとてもよく分かる気がする。

人間の意図や計算を超えた世界・・・それこそが宇宙意識、宇宙の根源的なパワーと

繋がる世界を開いていく。

 

書芸術においても、それはまったく同じだと思う。

ああしよう、こうしようなどと、意図や計算が先走った作品というのはツマラナイ。

分かりやすいといえば分かりやすいが、すぐに底が見えてしまうのだ。

そうではなく、宇宙意識と繋がるような芸術作品は、宇宙が無限なのと同様に、

無限に想像力をふくらませていけるから、見飽きるということがない。

だが人が筆を持って書くからには、必ずその人のクセなり匂いなりが作品に表れてくるわけで、

若き日に画家を志した石田さんが、自ら絵筆を持って書くという表現手法から離れたのは、

そういったものからさえも解き放たれた世界に行きたかったからなんじゃないかと思う。
石田さんを訪ねたのち興奮も覚めやらず、帰りの新幹線の中で、紹介者である田中さんと、

東京駅に着くまでの間ずっと語り合っていた。

私が「書をもって魂(ソウル)を表現していくことを目指していきたい。」言うと

「書の世界ではソウルは目新しい概念かもしれないが、現代アートの世界ではもう

過去のものになっている。現代アートではもうその先の世界に行っている。」と田中さん。

たしかに現代アートの世界では、ソウルという概念はもはや古いのかもしれないが、

ソウルという概念は、この世に人間が生きている限り、永遠に不滅なのではないか。

そのソウルとは1個人の生命というレベルでなく、全宇宙に繋がる魂という意味において。

 

そう考えると、人間がこの世に生き、芸術というものが存在するかぎり、ソウルという

コンセプトを持って制作していくことに、時代遅れ、などということはないんじゃないかと思う。

現代アートでは、さまざまな素材、手法を用いて表現していくわけだが、紙に墨で表現

することがもはや古いというのであれば、油絵も彫刻もみな古いってことになってしまう。

だがそんなことはない。

たしかに斬新なアイデアやオリジナリティーといったものが、現代アートの世界では

重要であるにちがいない。

あるアイデアや表現方法が浮かんだなら、最初にやったもの勝ちで、二番センジでは

評価されない。

それに比べて、書は筆で紙に書くという極めてシンプルな表現手法の中で作品が創くられる。

文字を書くということになれば、さらにその制約は大きくなる。しかしながら、その表現は

宇宙が無限なのと同様に無限である。だからこそ奥が深く、また現代芸術として自立するには

難しいところもあるんじゃないか。
「書の線と絵の線は違うと思うか」と問うたところ、「違うと思う。」と田中さん。

「他の芸術では、表現したいものに応じて、さまざまな用具や素材の中から選び取ると

いうことが出来るわけだけど、書の場合は筆・墨・紙という限定された用具・素材の環境の

中で工夫され育てられてきた芸術であるから、その違いは大きいと思います。」と言う。

 

なるほど・・・では長谷川等伯の松林図屏風なんかはどうだろう。

松林を描きながらも、あれは具象を超えた等伯の心象風景にちがいない。

それに等伯の引く筆線1本1本には、書家もかなわぬような生命力が宿っているように思う。

だからああなってくると、もう絵も書もない世界になってくるんじゃないか。

以前、五十嵐晃画伯に田中さんにしたのと同じ質問をしたところ、

「書の線も絵の線もいっしょ」という答えが返ってきた。

おそらく、絵も書もよくする画伯にとっては、その境目はないのだろうと、

等伯の松林図屏風を思い浮かべつつ思ったのだった。
(書とアートを巡る随想~その2に続く)

 

 

 

 

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書道家/書家SOGEN blog 玄侑宗久・石田智子御夫妻との出会い (〜SOGEN blogバックナンバ〜 2005.4.24 投稿 003)

投稿日: 2005年4月24日

 

 

2005.4.24

(石田智子氏・インスタレーション作品)

 

 

4月23日(金)
芥川賞作家の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんと、その奥さんで世界的な

インスタレーション・アーティストの石田智子さんに会う。

友人であるサウンド・プロセス・デザインの田中社長さんが、ぜひこのお二人に

引き合わせたいと紹介してくださったもの。

・・・ってことで、今日はまたまた、とてつもない貴重な一日となったのでした。

田中さんともども東京駅で、宗久さん、石田さんと待ち合わせ、新幹線で福島県・

三春町(みはるちょう)までご一緒する。

宗久さんは2001年に『中陰の花』で芥川賞を受賞した作家であり、三春町にある

福聚寺(ふくじゅじ)という禅寺の副住職でもある。

 

郡山までの新幹線の中で、宗久さんと田中さんがさまざまな話題で議論している

のを聞くとも無しに聞いていたのだが、さすがに互いに博学なのにビックリ!

あまりにその内容が面白いので、思わずメモをとってしまった。

以下はそのメモの内容を中心に少し書いてみたもの。

 

・人間の感覚が五感に分かれたことを果たして進化といえるか?

植物は五感に分かれておらず、統合された感覚を持っていると考えられている。

植物に音楽を聴かせるさまざまな実験が成されているが、聴かせる音楽の違いで

成長の速度が変わることが分かっている。

クラッシックやジャズが気に入られ、ロックだと水の消費量だけがやたらと増えるだけ。

虫の羽音を聴かせると成長が促されるという実験結果もある。

わめき続けているような精神異常者の1メートル以内に鉢を置いておくと、2日で枯れる。

(ただしこれは音の影響だけではないかもしれない)

 

☆参考文献・・・養老孟司著『唯脳論』(筑摩文庫or学芸文庫)
黒川いほこ『音相学』

玄侑宗久著『アミターバ—無量光明』(新潮社)
玄侑宗久著『私だけの仏教』(講談社)

 

「音相学は面白い。たとえば平野壮弦は音相学的には、非常に変化に富み、波乱万丈を

イメージする音。『ひ』は人に最も警戒心を与え、取っつきにくいイメージを抱かせる音。

『ひ』で警戒させ『ら』で開き包み込み、『の』でわけ分からなくする。

それにくらべて玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)は平たんで静かなイメージを与える。

これは私の僧侶という仕事にはよい名前になる。」と宗久さん。

ン?そーいえば、昔つき合った彼女に最初は怪しいヤツと思われ、次に意外とイイ人じゃんと

思われて、最後にはわけワカンナーイって言われたことあったよーな、なかったよーな(汗)

 

宗久さんは小説・エッセー集、養老孟司氏をはじめとした著名人との対談集の出版、

講演など、その活動は幅広い。

増刊号のSIENCE(アエラ)4・5月号に書いたエッセーはぜひ読んでみて欲しいとのこと。

近年では脳科学も直感の仕組みにまでメスが当てられ、注目すべき研究も増えてきている

とのことで、カリフルニア工科大・下條教授の記事も必見とのことだった。

そのほか宗久さんと田中さんの話題はインド哲学思想から仏教、インド・ヨーロッパの

歴史にまで及び、自分には難解でよくわからなかった。

最後は「バラはバラでありバラである。」というインド哲学の言葉に、2人ともうなずき

あってたけど・・・???

 

 

少々長くなったが、ここからは三春町に着いてからの話です。

三春町は桜の名所として有名で、満開の時期には町の人口が30万人にも達するという。

三春町の桜は3~4日前が満開だったそうだが、まだ真っ盛りに近い様子だったのには驚いた。

福聚寺(ふくじゅじ)には滝桜(たきざくら)と呼ばれるシダレ桜があって、さながら

蒼い山をバックにナイヤガラの滝のように桜がシダレている様は、言葉では表せぬほどの

絶景だった。
寺は花見のために開放されており、花見見物の観光客が大勢いた。

入場料でもとったらさぞや儲かりそうだが、そういうことは一切しないらしい。

お寺の中に入れていただき、お昼を御馳走になる。奥さんである石田さんの手作りのシチュー

(ベルギー料理)をいただくが、お寺の古めかしい座敷きでベルギー料理には驚いた。

石田さん、かなりブッ飛んでてグ~です!

宗久さんがご自分の著書『禅的生活』という本に筆書のサインを入れて下さった。

 

しばらく歓談後、宗久さんは仕事のため座をあけられ、ついに世界的なインスタレーション・

アーティストでもある石田智子さんとじっくりお話させていただける機会を得た。

石田さんは大阪出身で、言葉はノリのよい関西弁。明るくて機転のきく、素敵なお姉さま!

美術系の大学を卒業され、その才能で将来を嘱望されていたが、お寺に嫁ぐことになり、

芸術活動からは身を引いていた、というかお寺の仕事が想像を絶する忙しさで、作歌活動を

する暇などなかったらしい。

お寺では住職が一番の権威者であり、嫁は人間らしい扱いもされぬといった過酷な生活の中で、

自分がお金いらず場所いらずで出来ることはないかと考えたとき、包装紙を使ってコヨリを

つくり、それを紡ぐことでオブジェやインスタレーション空間を作ることを思いついたのだ

という。そのコヨリ作品が、ベルギーやポーランドのビエンナーレで大賞を受賞し、

一躍世界的なアーティストとなったのだった。

才能はもちろんだが、お寺という住み慣れぬ因習的な環境の中で過酷な生活を送りながら、

めげることも諦めることもせずに、自分の芸術を追求し、ついには花開かせた石田さん

という人の素晴らしさに、心打たれずにはいられなかった。

 

近々、北海道で予定されている企画展への出品のため荷造りしてあった作品をヒモといて

見せてくださった。それはまだインスタレーションの形を成さぬ断片の山であったが、

その一部分を垣間見ただけでも、想像をかきたてられてワクワクしてくるのだった。

この広い寺の中で、お義母さんに頭を下げて、なんとか使わせてもらえることになった

自分だけの空間・・・う~ん、そこはまさにお寺の中の異次元空間だったのだ。

仕事場のパソコン画面で、彼女のこれまで手がけたインスタレーション作品を見せていた

だいたのだが・・・不覚にも・・・目が涙で滲んでしまった。

人の作品を見て、涙が出そうになるなんて・・・しかもパソコンの画面上で。

上記写真のインスタレーション作品は、あとで石田さんから伺った話だが、実のお母さんが

亡くなられたときに、「白い光に包まれて天国に昇ってほしい」という祈りを込めて

創ったのだという。

この作品はベルギーの芸術祭で大賞を受賞したものだが、そのときの貴重なエピソードを

聴かせていただいた。
○エピソード1

 

ベルギーの皇太后が見に来られたとき、后が「どうしてこの作品は宙に浮くように創ったの

ですか?」と訪ねられたので、前述の話をすると、后は「その気持ちは私もよく分かります。

私も王様が亡くなったとき、世界では黒い服を着るのが慣例ですが、私は黒い服(喪服)に

袖が通せませんでした。あなたと同じ気持ちだったからです。だから私は御葬式に白い服を着て

出ました。」と語られたのだという。

その後、石田さんが后に「この作品は、こうしてここに屈んで下から眺めると、一層よく

見えますよ。」と屈んでみせたのだが・・・これが大変な騒ぎを巻き起こすことになる。

后は公衆の面前で決してヒザを折って屈んだりはしないものなのだそうだ。だから石田さんが

そう言った瞬間、周りの人たちはみな凍りつき、SPたちには「なんてことを言うんだ!」

といった感じで睨まれた・・・そのとき、すかさず后はこう言われたという。

「私は屈んで見たいけれど、今日はスカートなので屈むことができないの。ごめんなさい。」

その後、皆が散らばって、后から皆の目が離れた一瞬の出来事・・・后は石田さんが先ほど示した

場所まで行き、ヒザを折って腰をかがめて、作品を見たのだそうだ。周りにいた人たちは

皆ビックリして、カメラのフラッシュの嵐になった。皇太后が人前で腰をかがめるなど

前代未聞のことなのだそうだ。

その後は皇太后も作家に交じって、そのへんからとった仕出し料理のようなものを一緒に

食べられたという。

う~ん、なんかエエ話やな~・・・なんという、いたわりとウイット。礼節を重んじつつも、

一番大切なものが何かを分かっている・・・こんな皇太后に抱かれた国民は幸せなだろうな。

 

○エピソード2
国内のある美術館で同じ作品を展示したときの話。

10才くらいの子どもたちが集団でやってきたのだが、中に人一倍騒がしい男の子がいた。

どうなることかと思いきや、作品が飾ってある部屋に入るなり、ひと言も喋らなくなり、

ジ~と作品を見続けている。そして、ポロっとひと言つぶやいたという。

「ねえ・・・この作品・・・泣いてるよ。」
制作者の石田さんも、さすがにこれには背筋がゾっとするくらい驚いたという。

 

 

仕事場も拝見し、大満足~。

その後、石田さんの運転する車で三春町内の夜桜巡り。

三春町はその昔「御春町」と言ったらしいが、いまは「三春」だ。

桜・梅・桃の3つが同時に咲き乱れ、まさに3つの春が一度にやってきたよう。

樹齢1000年という千年桜も見れて、未だかつてない最高の花見見物となったのは嬉しかった。

夜桜を見たあとは、郡山駅近くの「奈良木」という天婦羅屋さんですっかり御馳走になる。

寿司屋みたいに1個づつ揚げるとすぐに皿に置いてくれる。う~ん、ここの天婦羅、美味すぎ!

東京で食べたら値段は3倍は取られるだろうな。

 

郡山駅、最終の新幹線に間一髪間に合い、一路東京へ。
その間、田中さんとずっとアートを巡る問題について語り合っていた。

しかもまたメチャクチャ濃い~内容。それはまた別の日記で。

いや~、それにしても、またまたスゴイ一日だった。

芥川賞作家のダンナさんに、世界的なインスタレーション作家の奥さんとの出会い。

世の中には、こんな夫婦もあるんかいな・・・。

でも結婚したときは、お互いそうじゃなかったわけで、奇しくもそうなったってことだろうけど。

 

 

石田さんの作品についてもっと書きたいのだが、それはまたの話。
書き疲れました~。
てか、読み疲れましたよね。

最後まで読んでくれてありがとう。
ではではまた^^

 

 

 

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書道家/書家SOGEN blog 嵐山・祐斎亭訪問 (〜SOGEN blogバックナンバ〜 2005.4.21 投稿 002)

投稿日: 2005年4月21日

 

 

2005.4.21

SOGEN初の染め書き作品/ 於・京都嵐山・祐斎亭

 

 

4月19日(火)京都へ

 
夕刻、盟友・福田祥洲さん(5月SOGEN書芸塾ARC講師予定)の仕事場へ。

奥さん(超京都美人!)のもてなしを受けつつ歓談。その後、近くの焼き鳥屋へ。

祥洲さんの門人の若者4名と玉泉堂O氏をまじえて、大いに飲み語り、盛り上がる。

京都第2タワーホテル泊
(福田祥洲氏HP・・・http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Shoshu/)

 
 
4月20日(水)

 

昼ころ、我がソウルメイト、大津市在住の三田さんのお宅へ。

西大津駅まで車(ベンツ!)で迎えにきてもらう。

三田さんのお宅は大津市・比叡平、山頂の閑静な住宅街にあり、ほんとにいい所だった。

仕事場拝見。うーん、予想どおりの味ある空間。

ここがあの三田さんの素晴らしいオリジナル額や古伊万里のアクセサリーが生まれる所なのかと

感動・・・! その後、さながら避暑地にあるかのようなイイ感じのレストランに連れていって

もらい御馳走になる。スープからメインディッシュ、デザートに至まで、どれも美味い!

これで1600円は安い。

 

さて、いよいよ嵐山・祐斎亭へ。川端康成も執筆のために逗留したという旧日本旅館を買い取り、

総工費1億3千万円をかけ改築したという、染色家・奥田祐斎氏の仕事場兼ギャラリー。

三田さん運転のベンツを飛ばして約1時間。夕刻、祐斎亭着。京都の奥座敷ともいわれる嵐山の

美しい新緑の中、祐斎亭はあった。

土と緑と水の臭いが混じったような甘美な香を風が運んでくる。

三田さんが以前「東京の風には臭いがない。」といったとき、ピンと来なかったのだが、

ここに来てその意味がよく分かった。
まず祐斎先生のお弟子さんが案内してくれた場所が、、1000万をかけて改築したという広さ

約10帖トイレ・・・ん~。スゴすぎ・・・東京からわざわざ、このトイレを見るためだけにやって

来る人もいるという。決して一見豪奢でもきらびやかでもないが、水琴窟なども置かれており、

祐斎芸術の極みが十分に盛り込まれた世界がそこにあった。
川端康成が逗留した部屋で祐斎先生と歓談後、仕事場拝見。「お風呂をどうぞ」と言って

いただき、三田さんと入る。なんとビールとツマミまで用意してくださり、新緑が窓の外に

広がる浴室で三田さんと一杯やりながら、くつろぎのひと時・・・う~ん、なんという贅沢。

そのうち祐斎先生も入って来られて、3人で暮れ行く新緑の嵐山を眺めながら歓談。
風呂から上がったあとは、夕食の仕度。お弟子さんやスタッフの方たちも大勢いる中、

祐斎先生自ら腕をふるって料理してくださる。

 

 

「食べる前に書いてみますか?」と言っていただき、仕事場で布に書く体験させていただく。

まずは先生が書いてみせてくださった後、あとは好きにやってみて・・・と言っていただき、

思いきってチャレンジ。

書の作品はふつう、机か床の上に毛氈を敷いて書くが、染色の場合は長い布を宙づりにして

書くということを初めて知った。宙ずりにした布にうまく書けるかどうか不安だったが、

何も考えず、ハケや筆で一気に書いてみると、これがなんとも心地よい。

宇宙空間で書を書いているような浮遊感が妙に心地よかった。

 

その後は、着物姿も麗しい秘書のSさん、スタッフの方1人とお弟子さん2人を交えての

夕食兼飲み会。

歓談中、オイラの作品について以下のようなコメントをしてくださった。

「書としてはもうほんとにイイんだ。墨色の出し方も何もかも心得ている。だけど、

あと0.01パーセントが足りない。そこを超えられるかどうかが、何ものでもない

壮弦一流の世界を創れるかどうかの境目だ。それにはすべてを一度捨て去らなければ

ダメだ。」

うーん、有難くもまた厳しいお言葉・・・。

「ですが、その0.01パーセントが何なのか、まだ見えてきていないんです。

自分がその何かに気づき、その壁を超えられるかどうか・・・」と言うオイラに

「いや、あんたなら出来るよ。なぜって、いまここにこうして来ているじゃないか。」

と祐斎先生は諭された。

そう、たしかに自分にはまだ何かが足らないと感じ、その何かを手に入れ壁を

乗り越えたいがために、超多忙の日程を縫って、こうして京都まで足を運んだのだ。
深夜に及んだ飲み会がお開きになると、今度は茶室に案内してくださった。

そこは大きな蝋燭の火だけがともる夢幻空間。お茶でもふるまってくださるのかと

思いきや、秘書のSさんが運んできてくださったのはお酒。煙草だって全然OK。

「たまには男同志で飲むのもええかなと思って」と祐斎先生が告げると、Sさん、

ちと名残惜しげに「あ、そーですかぁ? ほな、お先に・・・」と茶室を出られた。

さぁ、そこからは・・・男同士の秘密の語らい・・・あとはご想像にまかせます(汗)
2時くらいに茶室での男同士の有意義な語らい(?)もお開きとなり、三田さんと

通されたのが川端康成が逗留し『山の音』を書いたという部屋。うーん、こんなところで

寝れるなんて、なんという贅沢・・・。
 
その後、三田さんともども興奮からか寝つけず、夜が明けるまで色々と語り合った。

お互い、いまがまさに正念場であり分岐点。
奥田祐斎氏は各界に人脈を持つ大物染織家、その彼が、三田さんの感性と人柄を買い、

その縁でオイラも今日、祐斎さんと新たなる絆を作ることができた。この出会いは

もしかしたら、三田さんとオイラの運命を変えることになるほどの、大きな転機と

なるかもしれない。
暗闇の中を暗中模索で足掻きながら進んできたここ数年だったが、少しづつ歩むべき

方向というものが見えてきた。

ものすごいパワーを秘めた教室(ARC)の生徒たちとの出会いと盛り上がり、

ここ最近のさまざまな異分野の人たちとの出会い、そして奥田祐斎氏との出会い・・・

すべてが偶然ではなく、何かの力が自分の進むべき方向を暗示してくれているかのようである。

 

 

翼朝は庭でモーニングコーヒーをいただき、部屋に戻り、祐斎先生手作りの朝食

(目玉焼き!)を御馳走になる。

その後、祐斎先生旧知の客人を交え歓談後、4人で祐斎亭所有のボートで川下りを楽しむ。

ビールにツマミは必需品。天候にも恵まれ、新緑が目に鮮やか、甘美な香を運ぶ風が心地よかった。

お昼になり、いとまを願い出たが、祐斎先生に昼食を食べて行けばいいと言っていただき、

近所の茶店でお昼を御馳走になる。

う~ん、祐斎先生、どこまでもトコトン付き合ってくださる。最初の恐い、近寄りがたい

イメージからは想像できなかった、このもてなしよう。祐斎先生の客人をもてなすキメ細かな

心配りに、感謝感激の2日間・・・。

「また遊びにおいでよ。」と言ってくださる祐斎先生と再会を約束、固い握手を交わし、

ついに嵐山・祐斎亭をあとにしたのだった。

 

三田さんに車で京都駅まで送ってもらい、互いの今後の発展を祈りつつ、固い握手を交わし、

今回の京都の旅は幕を閉じた。

この2日間の体験を、記憶に新しいうちにと思って書いてみたが、とても書き切れるものではない。

そこでの思いや感じたことについては、また今後の日記の中で書いていけたらと思っている。

 

 

夕方東京に戻る。2日ぶりの仕事場・・・
楽しい旅だったとはいえ、さすがに疲れた。
明日は長野だ。また新たな出会いが待っている。

 

 

 

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書道家/書家SOGEN blog 21世紀・書芸術革命 (〜SOGEN blogバックナンバ〜 2005.4.17 投稿 001)

投稿日: 2005年4月17日

 

 

2005.4.14

 

 

21世紀、いま書芸術に革命のときが来た。
目覚めよ、囚われし者たちよ。
もはや閉ざされた世界の中で、小技を競い合っている時ではない。
求めるべきは知識や技術への共感を越えた、魂の純化と共鳴とにあるのだ。

 

古典や師匠の手本に隷属する書の古き時代を越え、
個々の魂が解き放たれ、生命エネルギーが爆発し、全宇宙と交感する、

書芸による新たな時代が幕を開を開けたのだ。

 

 
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